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松山地方裁判所宇和島支部 昭和43年(ワ)26号 判決

原告 国

訴訟代理人 中川安弘 外三名

被告 三好芳子

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告指定代理人は「被告は原告に対し、金六二万七、五六六円およびこれに対する昭和四一年八月二八日より右完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする」との判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求原因として、

一、訴外中矢文子(以下文子と略称する)は、昭和一四年一二月現役陸軍中尉野中大吉(以下大吉と略称する)と婚姻し、同一五年六月二九日その旨の届出をしたが、右大吉は同二〇年六月二〇日比島レイテ島で戦死した。

被告は、同一六年六月二五日右大吉と文子との間の子として出生したもの(同三八年一二月二〇日婚姻届出により三好姓に改氏)である。

二、右文子は、同二九年二月二六日付請求書をもつて、厚生大臣に対し、旧軍人である右大吉にかかる戦傷病者戦没者遺族等援護法にもとづく遺族年金および弔慰金の請求をしたが、厚生大臣は、右文子が右大吉の死亡後同二七年三月三一日までの間に、訴外北井通俊と事実上婚姻と同様の関係にあつたものと認め、請求権がないものとして同三〇年六月二二日これを棄却するとともに、同三二年八月三〇日付請求書をもつて厚生大臣に対し、恩給法にもとづく同様の扶助料の請求をした被告に対し、次の裁定にもとづき次のとおり扶助料を支給した。

裁定年月日 昭和三三年四月八日 りに広第四三三二九五号

同年一〇月一日 りに広甲第四三三二九五号

支給金額  金六二万七、五六六円(明細は別紙支給明細書のとおり)

三、ところで右文子は、厚生大臣を被告として、東京地方裁判所に対し、厚生大臣が右文子の請求を棄却した処分の取消の訴を提起し、同地方裁判所は同三七年一一月二九日、「右文子と訴外北井通俊との間に事実上の婚姻関係と同視できる関係が存在したとは認め得ない」として、厚生大臣敗訴の判決をなし、東京高等裁判所も右原審の判断を支持したので、右訴訟においては結局厚生大臣敗訴の判決が確定した。

そこで、厚生大臣は、右文子が正当な受給権者であることになつたため、同四一年五月二七日、被告に対する前記裁定はその受給対象者の認定を誤つたものとしてこれを取消し、右文子に対しては同年五月二五日あらためてりに広六一九四七四号にて扶助料支給の裁定をなした。

四、ところで右のように被告に対する支給裁定を取消した場合その効果は遡及しそれまでに支給された金銭は法律上の原因を欠く不当利得となるから被告がその受給金額を返還すべき義務を負うのは当然であり、このことは本件支給の根拠法たる恩給法とその性質を同じくする戦傷病者戦没者遺族等援護法第三二条の四にあつても、「死亡したものと認定されていた軍人軍属若しくは準軍属又はこれらの者であつたものが生存していることが判明した場合において、その遺族と認定されていた者に遺族年金又は遺族給与金が支給されているときは、当該生存の事実が判明した日までにすでに支給した遺族年金又は遺族給与金は、国庫に返還させないことができる」とあつて、当然返還すべき義務の存在するを前提としていることによつても明らかである。

五、よつて原告は被告に対し、右支給済総額金六二万七、五六六円の返還請求権を有することとなり、被告に対し、同四一年八月二七日を履行期限として右債務の履行を催告したが、被告はこれに応じないので、右金六二万七、五六六円とこれに対する履行期日の翌日より民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

と述べ、

被告は、主文同旨の判決を求め、答弁として、原告主張の請求原因一項ないし三項の事実および五項の事実のうち被告が原告より同四一年八月二七日を履行期限として金六二万七、五六六円の返済の催告をうけた事実はいずれも認める。なお同四一年五月二七日付、被告に対する支給裁定の取消に対し、その取消を求めるため訴願その他の救済手段に訴えたことはない。しかしながら左の理由により原告の本訴請求は失当である。即ち

一、被告は原告主張のように、昭和三三年四月八日および同年一〇月一日の各厚生大臣の裁定により、同年四月より同三六年七月までの長期間に亘つて、原告主張のような扶助料の支給をうけていたものであり、その後同四一年五月二七日に至り、突如として原告が、前記裁定は誤つていたからというだけの理由で右裁定を取消すことは、その取消を必要とするだけの強い公益上の理由がなければ許されないというべきであつて、右裁定の取消はその内容において重大且つ明白な瑕疵があり無効である。

二、仮りに右取消が有効だとしても、取消原因は被告の責に帰すべき事由に基くものではないから、当事者たる被告の不利益のためには取消の効果は遡及しないというべきである。

三、仮りに右各主張が理由がないとしても、被告は目下手許不如意につき本訴請求に応じ難い。

と述べた。

(証拠省略)

理由

原告の主張する事実はすべて被告において自白するところである。従つて以下被告が本訴請求が失当である旨主張している点を検討する。

一、昭和四一年五月二七日なされた厚生大臣の取消行為は、その内容において重大且つ明白な瑕疵があり無効であるとの点について、

(一)  前記当事者間に争いがない事実および被告本人尋問の結果によれば、被告は、昭和一六年六月二五日大吉と文子間の子として出生したが、右大吉が戦死して間もなく、被告が五才の頃、実母文子は被告を右大吉の里方に預けたままその実家に戻つたため、爾来、被告は父方の祖母訴外野中ウル及び伯父野中好春に養育されて小、中学校を卒業し、さらに松山高等経理女学校一年を昭和三三年三月(被告満一六才時)卒業し、その後宇和島市内の商店に約三年半働き、その後松山市内の某洋裁編物学校に一年四月在学し、同校卒業後同三八年一二月二〇日訴外三好某と婚姻したものであるが、被告が父方の里に預けられてから今日まで文子との間にはなんらの接触もなかつたこと、その間昭和三三年四月より同三六年七月まで(被告が満一六才より満二〇才に達するまで)の間本件扶助料の支給をうけていたが、この金員は、被告が松山高等経理女学校卒業後の宇和島市内での生活費、松山での洋裁編物学校時代の学費、生活費、及び結婚資金などに全部費消されていることを認めることができる。しかして被告が同三二年八月三〇日付本件扶助料の請求をなした経緯手続などについては、被告本人尋問の結果によつても、当時被告は祖母らに養育されていた中学校三年在学頃であつてよく判らない旨供述し必ずしも明らかではないが、しかし文子の扶助料の申請が棄却されたのが同三〇年六月二二日であることおよび被告の右申請が主務官庁に容れられ同三三年四月八日と同年一〇月一日被告に対する扶助料の支給裁定がなされていることを考えると、右文子の申請が棄却されたため、法律上次順位請求権者である被告のために、祖母その他の者が適法な申請手続をなしたものであろうことを推認するに難くなく、又当時としては被告が適法な受給資格をもつものと考えることは無理からぬ事情にあつたことからすれば、右申請は正当な権利行使という認識のもとになされたものであり、詐欺その他不正な手段によつてなされたものとは認められない。

(二)  ところで或る行政行為が全部無効であるということは、一定の争訟手続に訴えてその取消を求めるまでもなく、その行政行為に内在する瑕疵が重大且つ明白なため、何人よりもその効力を否定することができることと解されるが、本件取消行為が右のような無効の程度にまでその内容に重大且つ明白な瑕疵があるか否かについて考えてみるのに、行政行為は一般に、その内容が違法であれば、権限ある行政官庁においてこれを取消すことは許されており、寧ろ行政行為の法適合性の要請の故にその違法を是正するためにはこれを取消すべきであろう。本件についてこれを見れば、厚生大臣が、自らの調査(恩給法第九条の二)不充分のためとはいえ、被告の受給資格の有無についての認定を誤り、ために正当な受給資格者でなかつた被告に対し扶助料の支給裁定をなし、それに基いて、元来ならば支給されるべきではなかつた扶助料が支給されてきたことは違法な内容をもつ行政行為が行われていたことになるのであるから、その内容の違法を理由としてこれを取消すことは形式的には適法な行為であるといわなければならない。

しかしながら行政行為はその公定力(瑕疵ある行政行為であつても、その絶対に無効と認められる場合を除き、行政庁が一般的権限に基き行政行為をなしたときは、一応行政行為の要件を具備した適法の行為であるという推定をうけ、従つて権限ある行政庁の職権による取消がなされているか、一定の争訟手続によつて争われた結果、行政庁又は裁判所による取消がなされるまでは、行政庁自身は勿論相手方もこれを有効なものとして尊重しなければならない拘束力)の故に、特に人民に一定の権利若しくは利益を与えることを内容とするような行政行為については、徒らに法的安定を紊すことは許されず、行政行為の有効性に対する人民の信頼を裏切つてはならないというべきであつて、その取消に当つては、行政行為の法適合性の原理と人民の信頼保護の原理の調和が常に考慮されねばならないというべく、従つてその取消には条理上一定の制限があるものといわなければならない。即ち行政行為の取消により人民の既得の権利若しくは利益を侵害する場合には、取消原因が存するときでも、申請が詐欺その他不正の手段によつてなされたことの顕著な場合を別として原則として許されず、右既得の権利若しくは利益を侵害してもやむを得ないだけの強い公益上の必要が存しなければならない。又法的安定のためには右取消権の行使は条理上相当の期間を経過した後には許されないというべきである。

本件において、被告が扶助料の支給申請に際し、詐欺その他不正の手段を構じたことを認めることのできないことは前述のとおりであり、又被告が受給資格を有する旨の認定に誤りがあつたということは、右支給裁定に取消原因があるという理由にはなり得ても、その取消を是認するに足りる強い公益上の必要があるという理由にはなり得ない。さらに支給裁定は後述の如く、その性質上、元来申請人との関係でその受給資格を確認する行政行為であるから、第三者に何ら法律上影響することがないこと又国家財政上の必要を考えても、本件取消の時点において、なおその取消を是認するに足りるだけの強い公益上の必要があるものとは認め難い。のみならず右取消のなされた日時は、条理上相当と考えられる期間を余りに経過したものと解するのが相当である。

従つて、右述べた理由から、本件取消は許されるべきではなかつたというべきであり、このような意味において右取消行為には瑕疵があつたものといわなければならない。

(三)  そこで右瑕疵の程度が、何人よりもその効力を否定することができる程度に重大且つ明白な瑕疵であるか否かについて考えてみると、

右取消行為は形式的には適法な行為であること、取消の制限として考えられる前記諸事由は法律上明示されたものではなく、行政行為の法適合性と人民の信頼保護の調和のために条理上認められなければならないとして考えられたものであつて、いかなる事由が行政行為取消の制限として認められるかについては必ずしも一致した見解があるわけではなく、本件の如き扶助料の受給権は法律上定められた一定の要件事実を具備すれば法律上当然発生し、その内容も法律上定められているもので、支給裁定によつてその権利を取得するものではなく、支給裁定はその確認的行政処分に過ぎないところから、本件被告の如く右要件事実を具備しなかつた者はそもそも当初から何らの権利を有しなかつたものであり、支給裁定の取消により何ら侵害されるべき権利を有しないのであるから、右取消は無制限に許されるべきであるという考えもあり得ること(尤も当裁判所は、或る行政行為の有効性を信頼した人民は右行政行為によつて与えられた権利のみならず利益も保護されなければならないと考えるので右の考え方はとらない)などを考え合わすと、本件取消行為には瑕疵があるとはいえ、何人からもその全部無効を主張できる程度に重大且つ明白な瑕疵があるものと解することはできない。

従つて右取消行為が全部無効であることを前提とする被告の主張は採用できない。

二、本件取消の効果は被告の不利益のためには遡及しないとの点について、

被告が本件取消行為に対し、その取消を求めるための一定の救済手段に訴えなかつたことは被告の自認するところであるから、右取消行為は、その公定力と不可争性(行政行為は一定の期間の経過によりその行為の有効性を争うことができなくなる)の故に、裁判所としても右取消行為を無視することはできない。しかし被告の右主張は、結局、右取消行為の効果はその遡及する部分に限つて無効(一部無効)であるという主張と解され、仮りに被告主張の如くその遡及する部分が無効であれば、裁判所がこれに拘束されることなく本件の審理判断をなすことは勿論可能である。

そこでこの点について考えてみると、

一定の行政行為により取得された人民の既得の権利若しくは利益が、元来ならば取消し得べき瑕疵ある行政行為によつて侵害される場合、一定の法定期間を経過したことにより救済手段の途を塞されたから、何らの保護を受け得ないと断定し得るか否かは問題であるといわなければならない。一般に行政行為の取消は、法律上成立すべからざる行為を失わしめることを目的とするものであるから、その効果は原則として遡及効をもつものと解せられる。しかし前記一の(二)で述べた如く、或る行政行為の有効性を信頼して取得した人民の権利若しくは利益が、当事者に何ら責むべき事由もないのに、行政庁の一方的な取消行為によつて剥奪され若しくは既成の法律秩序が破壊されることは、行政に対する人民の信頼を根底より覆えし、将に「角を矯めて牛を殺す」の類に等しいというべきであつて、却つて行政目的に背馳することになろう。行政行為が不可争性を有するに至つたということは、それが手続上取消されなくなつたというにとどまり、それが適法な行為に転化するものではないことを考えると、ここにおいても、行政行為の有効性を信頼したものは法の保護をうけるに値いするという人民の信頼保護の原理が全く無視されてよい理屈はない。従つて行政行為が不可争性を有するに至つた後においては、さらに一歩を進めて、行政行為の公定力、不可争性の各原理と人民の信頼保護の原理との調和が考えられなければならない。そしてその調和は、取消の原因が当事者の責に帰すべき場合(詐欺その他不正の手段による場合)の外は、その取消の効果は当事者の不利益のためには遡及しない換言すればその遡及する部分は効力を有しないという点に求めることによつて保たれるというべきである。

だとすると、前述の如く、被告に対する各支給裁定が、被告の詐欺その他不正手段によつてなされたことの認め難い本件においては、昭和四一年五月二七日なされた右各支給裁定取消の行政行為は既に形式的確定力をもつとはいえ、その効果は、被告の不利益のためには遡及しない換言すればその効果のうち遡及する部分は無効であるものというべく、右取消の効果が遡及することを前提とする原告の本訴請求は失当として棄却を免れないというべきである。

なる程原告主張のように、本件支給の根拠法である恩給法とその性質を同じくする戦傷病者戦没者遺族等援護法第三二条の四には「死亡したものと認定されていた軍人軍属若しく準軍属又はこれらの者であつたものが生存していることが判明した場合において、その遺族と認定されていた者に遺族年金又は遺族給与金が支給されているときは、当該生存の事実が判明した日までに支給した遺族年金又は遺族給与金は国庫に返還させないことができる」旨規定してあり、この規定は、誤つた認定を基にした支給裁定により既に支給された遺族年金等は、本来遡つて国庫に返還されるべきものであることを当然の前提としていること、換言すれば右規定は、支給決定はその認定に誤まりがあればこれを取消し得、その効果は遡及すべきものであることを当然の前提としているということができる。しかし、行政行為が違法な内容をもつときはその法適合性の故に、権限ある行政庁によつてその取消がなされ得ることおよび取消の性質上その効果が遡及効を有することが原則であることは前述のとおりであつて、右規定はこれらの原則を前提とした上で、それでもなお「遺族年金等を国庫に返還させないことができる」として、行政庁の裁量により右遺族年金等を国庫に返還させないことができることを明示した点に重要な意味があるものといわなければならない。しかして右返還をさせるか否かは、既に支給をうけていた当事者の利益に重大な影響をもつものであるから、右裁量は所謂便宜裁量に該当するものではなく、支給裁定を全部取消すか、将来の部分のみの一部取消にするかの右裁量判断の基準は前述したところによつて明らかな如く取消の原因が当事者の責に帰すべき事由による場合(詐欺その他不正の手段による場合)であるか否かという点に求められるべきである。このような意味において右裁量行為は条理法に覊束された所謂覊束裁量行為であるというべく、右裁量の誤りは違法な行政行為として取消を免れないというべきであろう。

だとすると右規定が前記原則を前提としているにも拘らず、取消の原因が当事者の責に帰すべき場合の外は遺族年金等を国庫に返還させることは許されないというべきであつて、右規定が、支給裁定は、取消の原因が当事者の責に帰すべき事由によるか否かを問わず、無制限に、しかもその効果が遡及効をもつことを認めた実定法上の根拠だと解することはできないといわなければならない。

以上の次第でその余の点について判断するまでもなく原告の本訴請求は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 重富純和)

(別紙省略)

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